波動を上げる方法

波動は上げようとして上がるものではありません。

 

上げよう上げようと努力するほど、意識の焦点が絞られてしまい、意識の拡張を妨げます。

 

例えば思考が何か一つの事象に焦点を当てようとしたとき、それにどっぷりと浸かってしまわないようにします。

 

ある事象にどっぷりと身を浸して思考をつづけていると、その事象の波動に自分をとどめてしまうことになり、良い解決策や、アイデアは浮かんできません。

 

その事象に入り込むのではなく、もう少し高い位置から全体をぼんやりと眺めます。

 

リラックスして、すべてはそのままでいても良いんだという前提を思い出します。

 

そうすると、先ほどまで時間をかけて思考していたことの良い進行方向が瞬時に降りてきます。

 

どんな問題も答えを導き出すのに1秒しかかかりません。

 

「考える」のではなく、自分の波動状態を緩めることに集中することで、瞬時に答えは導き出されます。

 

波動が上がると、もっと焦点がぼんやりしていて、ざっくりとしていて、リラックスした状態を維持できるようになります。

 

それは細かなことが理解できなくなるということではありません。

 

むしろ、物事の理解はもっと素早く、瞬時にすべてを察知できるようになります。

 

波動を上げようと努力すると、低い波動を排除しようという分断のエネルギーが生まれてしまいます。

 

波動が上がっても上がらなくてもどちらでもいい、ずっとこのままでも問題ない、くらいのゆったりとした意識でいた方が、簡単に波動は上がります。

 

それは善悪、高低、などの分け隔てなく、すべてを包括、統合するエネルギーを生むからです。

 

今、ここ、自分自身を生きる。本当の幸せとは

本当の幸せは、「いつか手にするもの」ではありません。

 

お金をたくさん稼げるようになったら、ダイエットに成功したら、恋人ができたら、大学に合格したら、幸せになれると思って頑張り続けても、永遠に幸せをつかむことはできません。

 

なぜでしょうか。

それは幸せを感じることができるのは、未来の自分でもなく、過去の自分でもなく、『今』の自分だからです。

 

霊的世界には時間は存在しません。

 

すべては『今』同時に存在しています。

 

物質世界を生きている間だけ、過去から未来へと進む時間軸の中で宇宙を体験します。

 

実際は過去や未来というのは幻想です。

 

すべては『今』であり、あなたは『今』以外に存在することはできません。

 

あなたがいつか幸せになりたいと考えるとき、幻想の中に幸せを見出すことになり、唯一幸せを具現化することができる『今』という宇宙をお留守にしていまうことになります。

 

具現化出来る格好のステージを無視して、空想の中をさまよい続けます。

 

いつか、お金が沢山手に入った時、あなたはそのお金がいつまで稼げるだろうと不安になり、

ダイエットに成功したら、今度は体重以外の容姿のことが気になり始め、

恋人ができたら、別れてしまうことを恐れ、

大学に合格すれば、次は就職に向けて自分を駆り立て続けます。

 

求めていたものが手に入ったはずなのに、満足感は持続しません。また何か他の欠乏感を見つけ出し、追い求める終わりのない道が続いていきます。

 

あなたの本当の幸せは、『今』の中にあります。

あなたの人生の理想像は、『今』実現可能な範疇の中にあります。

 

魂の視点から見たとき、今すぐ実現が不可能なことは、実は大したことではありません。

それらはすべて儚いものたちであり、つまり一時的に存在するものであり、永遠に存在する本質とは違います。

 

あなたの魂を本当に喜ばせる、永続的な幸せとは、今すぐ、感じることができる幸せです。なぜなら宇宙は今にしか存在できないからです。

 

あなたが今座っている椅子は柔らかくて気持ちがいいですか。

横にあるコーヒーの香りがとても良いですか。

あの人に今度会うのが楽しみでわくわくしていますか。

鳥の声や太陽の光が心地よいですか。

 

これらの幸せは、お金や、恋人、大学合格より、価値が劣ると感じるかもしれませんが、本当はこちらが本物の幸せの実体です。

 

実際に金銭的に豊かになった時、ダイエットに成功したとき、恋人ができたとき、大学に受かった時、問われるのはその瞬間、その『今』において幸せを感じられる能力です。

 

あなたを幸せにしてくれるのは、成功そのものではなく、今という瞬間から喜びを見出す力です。

 

今以外のいつか、ここ以外のどこか、自分以外の誰か、を追い求めないでください。

ありのまま存在しているあなたと、この瞬間という宇宙を受け入れ愛してあげてください。

 

 

責任を押し付け合う時 本当の責任とは

何か問題と感じるようなことが起きて、自分がその責任を取りたくないと、相手に責任を押し付けようとするとき、相手も同じように責任を逃れよう、こちらに押し付けようとしてきます。

 

一定方向のエネルギーには必ず反発するエネルギーが生まれるからです。

 

責任を一枚の大きな板だとイメージしてみてください。

立てられた一枚の板を挟んで相手と自分で押し合っているとします。

こちらに倒れてこないようにと、双方から必死に押し合っています。

これがお互いに責任を押し付け合っている状態です。

 

その状態で、少し疲れたり気が緩んだりして押す力が緩むと、こちらに物凄い勢いで倒れてきて、押しつぶされてしまします。

 

お互いに反発する力を加えているため、板の重みが増しているのです。

 

この不自然な責任のあり方ではなく、本来の姿を知るにはどうすればよいのでしょうか。

 

それは責任をあるがままにしてあげることです。

つまり、押さずに放っておいてあげます。

 

板を挟んだ二人の人が、最も楽で自然体な状態とは、板を押したり、走って逃げたりせず、その場にリラックスして立つことです。

 

そうすると、板はまっすぐに立ちます。

 

そうするとそのうち、ある方向から風が吹いて、片側の人の方にふわりと倒れてきたとします。

しかし、押し合っていた時と違ってその板はとても軽く、優しく倒れてきます。

軽く両手で支えるだけで受け止められ、少し押してあげれば元の位置に戻ります。

 

「責任」というものの重圧を感じるとき、それは責任そのものの重さではなく、相手や自分を責め、押し付けようとするエネルギーの重さを感じています。

 

心配したり怖がったり、自分を責めたりせず、リラックスして過ごしていれば、何か責任を持つようなことが起きても、苦痛を感じません。

軽々と、解決することができます。

 

スピリチュアルの観点から見たとき、人間がとるべき責任は一つです。

それは、ありのままの自分でいること。つまり、自分自身の心のあり方にのみ責任があるということです。

 

例を出して説明しましたが、つまりは、幸せな気持ちでいることに全身全霊集中して、責任を持っていれば、身の回りに起きてくる出来事は知恵の輪が解けるときのように軽々と解決していくということです。

 

相手を許せないとき

喧嘩をしたり、人にひどいことをされた、言われたというとき、

 

後になればなるほど怒りが湧いてきて、相手の憎いところを沢山思い浮かべ、どうやって指摘しようか、どうやってやりかえそうか、などと考え始めます。

 

そういったことに共感する人が多いので、仕返しをしてスカッとする、そんな内容の番組や漫画なども沢山あります。

 

しかしこの問題、スピリチュアルの観点から観察したとき、終わりのない憎しみの無限ループになっていることに気が付くと思います。

 

スカッと、と表現していますが、物理的に言い負かしてやったとか、し返ししてやったとかして感じる、スカッとした感情は実は非常に一時的なものです。

 

なぜなら、潜在意識や宇宙の視点から見たとき、どちらからどちらへというベクトルは意味をなさないからです。

 

相手を打ちのめそうが、自分が打ちのめされようが、霊的な観点では起きていることは同じです。

 

そこに「打ちのめす」という暴力的なエネルギーが存在している、というだけです。

 

するとそのエネルギーがそこに存在し続けている限り、同じような出来事を創り出し続けます。

 

再び同じような喧嘩をしますし、また人に傷つけられ、傷つけることを繰り返します。

 

ではこのようなときの対処法はなんでしょうか。

 

それは一段上の周波数帯へと、自分が先にさっさと移動してしまうことです。

 

相手が怒っていようが、自分のエゴが許せないと叫んでいようが、それはそれとして放っておいて、自分は何の問題も起きていないときの様な、快適で幸せな感情へと意識を集中させます。

 

完全に周波数が変われば、あれ、今なんであんなに怒ってたんだっけ?という風に、一段下の周波数帯の感情を簡単に思い出すことができなくなります。

 

怒り狂っている相手と自分は、一定の周波数帯に存在していて、その周波数帯内でいくら解決策を模索しても浮かんできません。

なぜなら解決策は一段上の周波数帯に存在しているからです。自分が一段上の周波数帯に移動すれば、瞬時に解決策が下りてきます。そしてそもそも全く腹が立たないので、なんの抵抗感も抱かず、それを素直に行動に移すことができてしまいます。

 

憎みあっている周波数帯に存在しながら言う「そんな怒らないでよ」と

一段上の周波数帯に存在しながら言う「そんな怒らないでよ」はセリフは同じですが、響きが全く変わります。人間は霊的存在なので、相手はその変化を敏感に感じ取ることができます。

 

ほとんどの場合相手と自分の周波数の差は寸分の差なので、相手も自然とこちらに引き上げられてきます。こちらの方が、楽で、自然な状態だからです。

 

この時、相手と自分の間にあまりに大きな周波数の違いが生まれた場合、相手が目の前から消えます。

急に会えなくなったり、連絡が取れなくなったりと、とにかくその人との関わりがなくなります。

 

そうやって物理的に二人の状況がどう変化するにせよ、そこには霊的に見た憎しみのエネルギーは消えてなくなります。

 

相手の状態によっては、相手の世界にはその憎しみのエネルギーが存在し続けるかもしれませんが、あなたの世界からは消えてなくなります。

 

そうすると、同じような葛藤を物質世界に作り出すことがなくなります。

 

 

 

長年の劣等感 あなたは実は真逆の存在

子供のころから、ずっと変わらないことに劣等感をもっていたとしたら、

それはあなたがこの世で成し遂げようとしていることを実現するためのツールとして

生まれる前から搭載してきているものである可能性があります。

 

あなたが劣等感を抱いているその問題点、それがあるがゆえに行っている行動、常に焦燥感にかられながらやらなければと感じていることはありませんか。

 

それがあなたが生まれる前に設定してきた目的を果たすためのステップになっているかもしれません。

 

あなたはその劣等感を感じていることとは正反対の性質を持っている可能性があります。

たとえば、せっかちであることに劣等感をもっていたとすると、その反対にとてもおおらかでゆったりとしたあなたが本当のあなただったりします。

 

あまりにおおらかなので、物質世界の時間制限のなかで物事を成し遂げられないため、あえてせっかちな性格を搭載してきている可能性があります。

 

例えば承認欲求が強いことに劣等感を持っているとします。その場合反対に人に認められたいという欲のかけらもない控えめなあなたが本質だったりします。

控えめでは成し遂げられないような目的を設定しているため、あえて目立つ立場になれるよう承認欲求を搭載してきている可能性があります。

 

他にも、例えばお金にとても執着してしまう、とか、極端にさみしがりやだとか、自分に自信が持てないとか、人に合わせられないとか、

 

どんなことでも、長年向き合っているにも関わらず、改善しない問題があったら、それは人生において重要なツールである可能性があります。

 

本当のあなたはそれとは真逆の存在で、とても美しい存在です。

あまりにも無欲で、豊かで、自身に満ちているので、物質世界でなんのアクションもとる必要がなくなってしまいます。

 

何とかして物質世界で色んな経験を積むことができるように、行動の元になる欲求を生む問題をあえて搭載してきているのです。

 

ですから、いつまでたっても変われない自分を責めないで、この物質世界を生きるには軽やかすぎる本来のあなたに、あえて重しをつけることで、この世界を生きることができるようにしているんだと考えてみてください。

 

あなたの問題点に感謝して、そんな方法を使ってまでより大きな目的を果たそうとしているあなたの魂の偉大さに気づいてください。

 

 

 

 

相手と意見が違うことが辛い 感じ方の多様性

自分と違う考えの人がいて、自分が否定されたと感じて傷ついたり、怒ったり、相手にも理解してもらわなければいけないと感じて焦ったりしたら、

 

一旦落ち着いて、肩の力を抜いて、自分は一体何に必死になっているんだろうと問うてください。とても難しく、不可能なことに躍起になっていることに気づいてください。

 

宇宙は無限の多様性を包括した場所です。

 

一つたりとも同じものがない、すべてが少しづつ違っている無数の存在が同時に今存在し共存しているのが宇宙です。

 

そこに正しい在り方、考え方、といったジャッジは存在しません。

 

あなたの目から見てどう考えても間違っていて、ネガティブで、直ちに改善すべきだと感じる人、もの、出来事があったとしても、それはその段階でその場所に必要だからそうして存在しています。

 

宇宙は不必要なものは創りませんし、ミスも犯しません。

 

つまり、あなたの目の前に存在しているということは、宇宙が100パーセント必要だとして存在させています。

 

あなたが忌み嫌っている未熟だったころのあなた自身も、宇宙から見れば、あなたが夢見ている理想の自分や、尊敬しているあの人と、存在価値は同じです。

 

すべての存在が歯車のようにそれぞれのタイミング、場所で、自分自身の仕事をしています。

 

自分自身の仕事とは、ありのままの自分でいることです。

 

未熟な自分もそのまま受け入れ、表現し、存在することが、それぞれの存在に課された仕事です。

 

それは、ありのままの自分を受け入れられず、葛藤し、病んでしまうことすらも包括しています。それもまた、その瞬間のあなたのあり方です。その段階では必要だから起きています。

 

目の前に自分と反対の意見を持った人がいます。

その人はあなたの意見を全く理解できない様子だとします。

 

そこであなたは理解されないことを悲しんだり、相手の間違いを指摘しようとする必要はありません。

 

むしろ全然違う価値観が存在することを心の底から祝福する方が良いのです。

なぜなら違う者同士が同時に存在するのが宇宙の本質であり、最も自然なあり方だからです。

 

目の前の人と全く同じ考えを持っている方が不自然なのです。

 

私、相手、という風に焦点を絞りすぎないでください。

もう少し高い位置からぼんやりと眺めます。

 

あなたの体の中に一つとして同じ細胞がないのに、すべてが完璧に作用しあいながらあなたという一つの存在を形づくっているのと同じように、あなたと相手の存在も互いに作用しあって宇宙を形作っています。

 

隣り合った細胞が君は私と同じであるべきだ、と言って相手に強要したら、バランスが崩れ、体がおかしくなります。

 

目の前の人をそのままにしておくことを心配しないでください。

その人はその人のタイミングで必要な変化を起こしていきます。

今が変化のタイミングなのか、あなたにはわかりません。

そもそもいずれ変化するべきなのかどうかさえ分かりません。

だからこそ、起こるままに、そのままにしておくことが一番良いのです。

 

あなたがすべきことは、相手が何と言おうとあなたはこう思うという考えを尊重すること、あなたはこうありたいと思うことを尊重することです。

 

なぜならあなたの仕事は、ありのままの自分でいて、それを表現することだからです。

 

そして、あなた自身を尊重すれば、自動的に相手を尊重することができてしまいます。

宇宙の観点ではベクトルは大した問題ではないからです。

 

相手を尊重しようが、自分を尊重しようが、どちみち同じことです。

尊重するか、しないか、のエネルギーがそこにあるだけです。